不惜身命

この世の財宝を全て集めても
それよりも尊い命
と仏様は説かれています。

そんな尊い自分の命をかけても惜しくない
大事なもの、大切にしたいもの
自分でそう決めたこと
そのために生きることこそ
その人の人生が
尊くなるのだと思います。

この世の財宝を全て集めても
それより尊い命
と仏様は説かれているはず

でも
その命をかけてまで君は大切にしようとする
もっと尊い何かを見つけたのか?
そんな凄いものって何?

それがどんなものか知らないけど
きっと、そのために生きる人生って
間違いなく素晴らしいんだと思います。






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# by rhinoman | 2017-04-07 08:28 | Comments(0)

如来

生まれて生きて死んでいく。
どこから来てどこへ行くのか。
生命は永遠なる旅人。

今までどこにもいなかった命が
ある母体に宿ってこの世に出てくる。
如々としてどこからともなく来る命。
それを名づけて「如来」と言うんだそうです。

命=如来

ということだそうです。

その後たとえどこかに行って(逝って)しまったとしても
それで終わりではなく、行った先ではまた「来る」ことになり
結局「来る」ことの繰り返しでしかない。
だから「如来如行」とは言わないのでしょう。
「如来」
それだけで良いということなのでしょう。

何度も何度も生まれてきても
今の父と母、今の環境の元で人生ドラマを演じられるのは
たった一度限り。やり直しはきかない。

しかし、かといって慎重になってケチに生きることもない。
「たった一度限り」のことを永遠に繰り返しているのだから(笑)

だからこそ人生は果敢に攻めてダイナミックに生きなきゃ損
と思います。

しかし、勘違いしたくないのは、その「ダイナミック」の意味。
他に称えるなら「成功」の意味。

結論を先に言ってしまえば
自分など捨てて、この世で何がもっとも大事なことなのかを見つけて
それを誰よりも大事にして生き切る人生が最もダイナミックな人生であり
そういう人を成功者といえるのだと思います。

この世で最も大事なことを守るために戦って若くして命を落とす人もいます。
でもその人は若くして、その最も大事なものを見つけることが出来て
それを守り抜くために逝ったのだから「早死に」とはいえないでしょうし
ダイナミックな生き方をした成功者なのでしょう。

人々からその死を惜しまれ悲しまれてる時にはご本人は
どこかにすでに生まれて、そういう人は、懲りずもダイナミックな人生に
味をしめて癖になって、またそういう人生をスタートさせてるかもしれません(笑)

保身のためにあちらこちらに媚びへつらい
長くダラダラ生きても大事なことを見つけられず、というか見失い
死ぬとき「人生、結局なんだったのか?」としか思えず死んでいく。
自分の命をかけても惜しくない大事なものを見つけられず
死んでいくのですから、そういう人こそ「早死に」であり
「無駄死に」なのでしょう。

そういことを鑑みると・・・
「人は死ぬときに何をもって後悔するのか」
私くらいの年齢になると少しずつ想像がつく気がします。

「人生で何々が出来なかった、誰々に何々をしてもらえなかった」なんてことは
今まさに人生の最後を迎えるときには後悔してるどころではなくなり

やっとその時に大事だったこと
大事にしなければならなかったことが見えてきて

「なんでもっと誰々に何々をしてやれなかった、どうしてもっと誰々を大切にしてやれなかった」

という後悔の念に全身を焼かれるのなかな?と思います。

人生は、自分自身であり、決して受動ではなく、能動であるべきだった
愛してもらえるかどうかより、愛するべきだった
何かしてもらえるかどうかではなく、何をしてあげられるかだった
に気がつくのだと思います。

その「誰々」は家族に向けての家族愛だったり
人類に向けての人類愛だったり・・・
家族は自分の一部のようなものですから
不特定多数、人類に向けての愛になるほど
「能動な人生」ということでしょう。

人生はまさに能動で生きた人の勝利。
「GIVE」で生きた人の勝利。

「TAKE」は今、生きてられていること以外で必要ないこと。



しかし、一方で人生は椅子取りゲーム。

GIVEどころか、TAKEどころか、奪い合い。

高級な椅子に座った人の勝ち。

しかし、本当の「勝ち」はその椅子をどう利用するかで決まる話。

「くだらない人にその椅子が渡るくらいなら私が」
と人から奪ったのならまずは正解でしょうが・・・

高級な椅子に座った後でも、まだ何か自分のために欲しがる人も入れば
その椅子を使って皆のために何が出来るだろうか?何をするべきだろうか?
と常々考えて最大限に利用しようとする人もいます。

自分のため、自分の我欲で生きてる人は
自ら行動し、自らの実力で何かを成し遂げたとしても
実は一つも生き方に能動的な姿勢はなく
全て受動的人生であることがなかなか気がつかない。
「人に認められたい。成功者と思われたい。人から尊敬されたい」
全て受動的な生き方でしかない。

まさにそれがケチな生き方。ダイナミックではない生き方。

ダイナミックナ生き方とは、それとは逆な生き方
そういうことになります。

「おいおい、自分のことも少しは考えないで良いのかね?」
と他人に思われることこそダイナミックな生き方として私は憧れます。

もちろん「憧れ」であって全然アレですけど・・・

宮沢賢治じゃないですけど
私はそういう人になりたい・・・ですね。

「如来」

実はこのブログタイトルの「いつか來た迪」の意義はそこからなんですが

不思議とその奥義を慕うと
私の心にも
もっとダイナミックに生きてみようかな
という勇気が湧いて来るような気がします。



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# by rhinoman | 2017-04-07 01:30 | Comments(0)

コクサイ化

ウチの娘がポケモンのなんかのゲームに打ち込んでいる。

「よ~し!交換出来た~!!」とか言って喜んでるから覗いてみると・・・

スペインのナンチャラ君とかイタリアのナンチャラ君とかカタカナで
何か書いてあるから、そういうキャラクターがゲームに出てくるのかな?

と思っていたけど、もしかしてひょっとしたら・・・

これってネット通じて外国の人とポケモン交換してるということなのかぁ?!!!

娘に聞いたら

「うん、そうだよ」となんも普通に答えた。

感動しないのね、今の子は。

っていうかポケモン交換するなら誰でもいいわけだから
感動する方が異常なのかね?

なんかわけが解らなくなってきた。

ウチのお祖父さんに「娘が~してるよ~」と今のこと話したら
「そりゃ凄いね」と驚いてた。

やっぱそうだよね。

自分をしっかり持て~、俺。


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# by rhinoman | 2017-04-04 13:53 | Comments(0)